展示・遺跡の概要 | |
平成23年度テーマ展では、北井門遺跡1次調査で見つかった遺構群の主体となる古墳時代の竪穴建物出土資料を中心に、「使用する器の変化」や「集落内のまつりに使われた資料」を展示しました。 北井門遺跡1次調査は、国道33号から松山インター料金所までの東西約500m の直線区間の範囲に位置し、約200 棟の竪穴住居をはじめとする弥生時代前期から近世の集落跡が見つかっています。 弥生時代前期の遺構は主に調査範囲の西側から、大型の壺を棺としたお墓や、土器や石剣が入った土坑が見つかっています。後期の遺構は中に大量の土器を置 使用された竪穴住居や土坑、土器をおいたまま放棄されたような竪穴住居などがあります。遺物では朱のついた石臼やベンガラのついた石杵・土器などがあります。 古墳時代では、前期の前方後方墳(北井門古墳)や多くの竪穴住居が見つかり、中でも住居の床にまとめて置かれた土師器高杯や小石を入れた須恵器有蓋杯などは、住居を廃絶する時のマツリを示すものと考えられます。また、古墳時代の竪穴住居は東西の溝によって分けられた中に作られていることも分かりました。 さらに住居にはいち早く朝鮮半島から伝わったカマドや初期須恵器を取り入れるなど、先進的な集落であったことも分かりました。 中世では、土鍋を利用した地鎮の跡や様々な方向に掘られた溝・掘立柱建物などが見つかっています。 →この遺跡についての詳細は、発掘調査報告書(PDF)をご覧ください。 今回の展示では、弥生時代からつづく素焼きの器である「土師器」や、5世紀になって朝鮮半島からもたらされた新しい技術(登り窯)で焼かれた「須恵器」、まつりに使用された「玉類」など、古墳時代の資料をご覧いただきました。 |
密集する竪穴建物 | |
出土した初期須恵器 | 5区SI出土 須恵器高杯 |
展示室内の様子 |
リーフレット[PDF] (5.1MB) |