余戸中ノ孝遺跡3次調査 調査報告会の報告
[平成28(2016)年2月20日(土):松山市余戸]


余戸中ノ孝遺跡3次調査 1a区西側 完掘状況(弥生時代終末・古墳時代後期)
1a区西側 完掘状況(弥生時代終末・古墳時代後期)
 

 平成28年2月20日(土)午後1時より、松山市余戸西に所在する余戸中ノ孝遺跡4次調査について、地域住民のみなさんを対象とした調査報告会を開催しました。

 地元自治会の御厚意により余戸西1丁目の中ノ孝集会所を会場とさせていただきました。スライドや出土した各時代の主な遺物を見ていただきながら、今回の3次調査とともに松山市埋蔵文化財センターが調査を行った1次・2次調査、また余戸4丁目の余戸柳井田遺跡4次調査の成果もまじえ、調査を終えた時点での見解等をお伝えしました。

 当日はあいにくの雨でありながら自治会長さんをはじめ67名のかたのご参加をいただき、大変盛況となりました。どうもありがとうございました。


余戸中ノ孝集会所にて
余戸中ノ孝集会所にて

出土した遺物を熱心にご覧になるみなさん
出土した遺物を熱心にご覧になるみなさん

: 遺跡の概略 :
 当センターは平成25年度より余戸地区の松山外環状道路建設・県道久米垣生線改築事業に伴う埋蔵文化財の発掘調査を実施しています。

 余戸中ノ孝遺跡3次調査では、大きく2面の調査を行い、鎌倉時代の終わりから室町時代のはじめくらいまでの遺構・遺物、弥生時代終末および古墳時代後期の遺構・遺物が見つかりました。

 上層では円形の溝を持った墓坑、掘立柱建物、井戸などを検出しました。井戸のひとつは曲物(まげもの)を5段に重ねて水が溜まる部分を構成したもので、曲物は下段の方が径が小さく、上に行くほどラッパ状に広がるように積まれていました。

 下層では竪穴建物33棟、溝35条、掘立柱建物5棟などが狭い調査区の中に折り重なるように見つかりました。1a区においては半径6mほどの円形周溝状遺構が検出され、有力者の存在の可能性も考えられます。

 また、下層の検出面は現地表面である標高5m強から約2〜2.5m下となっています。これまで、弥生時代や古墳時代は現在の標高5m付近が当時の海岸線に近いと考えられていましたが、今回の調査で、少なくともこの地域はその想定に当てはまらないことがわかりました。その理由はいくつか考えられますが、今後の調査および研究により明らかになっていくものと思われます。
1b区上層 井戸の内部構造(曲物)確認状況(室町時代)
1b区上層 井戸の内部構造(曲物)確認状況(室町時代)
1b区上層 完掘状況(室町時代)
1b区上層 完掘状況(室町時代)
1a区下層 遺物の捨てられた竪穴建物(弥生時代終末)
1a区下層 遺物の捨てられた竪穴建物(弥生時代終末)
1a区下層 溝から出土した遺物(弥生時代終末)
1a区下層 溝から出土した遺物(弥生時代終末)

〜 遺跡報告会当日に配布した資料も合わせてご覧ください 〜

↓↓↓
遺跡報告会資料[PDF]
(13.0MB)

〜この遺跡の発掘調査報告書はこちら〜


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