新谷森ノ前遺跡2次 現地説明会の報告
[平成26(2014)年6月29日(日):今治市新谷]


一直線に並んだ掘立柱建物
一直線に並んだ掘立柱建物
 
 平成26年6月29日(日)午後1時より、今治市新谷に所在する新谷森ノ前遺跡2次の現地説明会を開催しました。
 当遺跡は一般国道196号今治道路建設に伴って発掘調査を実施しており、平成24年度の調査開始から3度目の現地説明会となります。

 前回までは龍の絵画を描いた弥生土器など、谷部からの出土資料を中心に紹介してきましたが、今回は、本遺跡が『和名抄』に記された古代「新屋郷」の中心域と推定されることから、官衙関連遺構と集落、そして関連する遺物を見学していただきました。

 当日は梅雨の晴れ間で大変蒸し暑い天候でしたが、約200名の見学者が来られました。皆様には心より感謝申し上げます。

床束の説明に聞き入る見学者
床束の説明に聞き入る見学者

パネルを見ながら質疑応答
パネルを見ながら質疑応答

古代の遺物に興味津々
古代の遺物に興味津々

床面に溝がある竪穴建物
床面に溝がある竪穴建物

: 遺跡の概略 :
 平成24年度に一部検出していた官衙関連遺構の隣接地および昨年度に引き続いて丘陵裾に展開する古代の集落と溝を調査しました。その結果、古代の掘立柱建物跡多数(一昨年度官衙関連遺構を含め47棟)と弥生時代の竪穴建物を11棟検出することができました。

 注目できる遺構としては、正方位を示す2間×5間の掘立柱建物SB01があります。柱穴には柱材が残っており、建物内部には間仕切りとみられる柱跡も確認でき、中心的な建物の可能性があります。また、SB03は床束をもった建物で、床を張った倉庫と考えられます。

 集落からは3間×6間の大型建物など多数の掘立柱建物がみつかりました。官衙関連遺構周辺は遺構密度が低く、掘立柱建物が密集している集落域とは違いがあります。

 官衙関連遺構の北側から集落内にかけて検出した溝からは、土器や須恵器、赤色塗彩土師器のほかに、緑釉陶器、灰釉陶器など京都や東海地方からもたらされた焼き物、墨書土器や風字硯、須恵器杯蓋を転用した硯、刀子や鉄滓、瓦などが出土しました。これらは8世紀から10世紀の年代におさまり、この時期に文字を書くことのできる人々が活動し、付近で鍛冶が行われ、一部瓦葺の建物が存在したことを示しています。

 弥生時代では、今回、初めて多くの竪穴建物が密集してみつかりました。時期は弥生時代後期中葉で、焼失した建物も含んでいます。完形に近い土器を含む後期後半の溝も検出しました。

古代の掘立柱建物(7区SB01)
古代の掘立柱建物(7区SB01)検出状況
古代の溝(4区SD101)
古代の溝(4区SD101)
焼失した竪穴建物(4区SI08)
焼失した竪穴建物(4区SI08)

〜 現地説明会当日に配布した資料も合わせてご覧ください 〜

↓↓↓
現地説明会資料[PDF]
(3.3MB)


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