縄文時代後期末の竪穴住居[3次2区] | |
平成21(2009)年3月1日(日)午前10時30分より、松山市北井門4丁目に所在する松山外環状道路松山インター線建設に伴う北井門遺跡2次調査、県道久米垣生線建設に伴う北井門遺跡3次調査についての現地説明会を行いました。 これらの調査は、2つの事業に伴う埋蔵文化財発掘調査として、当センターが隣接地を並行して調査しているものです(平成6〜8年度の松山自動車道松山インターチェンジ建設に伴う発掘調査を1次調査とし、前者を2次調査、後者を3次調査としました)。 2次調査分では、縄文時代については後期から晩期にかけての時期の墓の可能性が考えられる土器や歯が見つかった土坑群、弥生時代については、後期の円形・方形と多様な竪穴住居や竪穴住居内中央の炉跡に向かって伸びる溝などを公開しました。 溝からは、マツリに使われたと考えられるほぼ完全な状態で置かれた弥生土器が大量に見つかっており、その調査途中の様子を見ていただきました。 遺物は、弥生時代後期後半の土製品(椅子形をしたもの・紡錘車・勾玉・管玉など)、縄文時代の石棒などを展示しました。 3次調査分では、縄文時代後期末から晩期前半にかけての時期の竪穴住居、北西から南東に伸びる谷地形とそれに並行する溝を公開しました。 竪穴住居は残存状態が良好で、縄文時代後期末から晩期前半にかけてのものとしては県内随一です。また、当遺構から瀬戸内地域では空白時期と言われている後期末から晩期前半のものと考えられる土器が多数出土していることも、今後の指標となり得る重要な資料と言えるでしょう。 谷は、出土遺物から縄文時代後期末かそれ以前に形成され、数千年という長い時間をかけて埋まっていったと考えられますが、1次調査で集落の存在が確認された弥生時代後期の段階では安定した堆積が見られ、集落の形成や人々の生活に影響を与えていたと思われます。 溝については、西側から日常的に投棄されたのではないかと見られる、弥生時代後期後半のものと考えられる土器が多数出土しています。この溝の役割は現時点ではわかりませんが、今後の調査・整理作業で明らかにしていきたいと考えています。 今回の2次・3次の調査において、1次調査の段階では解明し得なかったことが明らかになろうとしています。例えば、1次調査において検出された溝の多くが北西から南東方向に向かっていたことは、今回同じ方向を示す谷地形を検出したことにより、地形的要因からみた遺構の形成についてアプローチできるようになりました。また、集落の広がりについても、同様のことが言えます。 太古の時代から拓けていた松山平野中央部の景観の復元に向けて、今後の発掘調査も慎重に進めていきたいと思います。 説明会当日は、発掘調査を行っている地元の方々を中心に、松山市内をはじめ県内外から約220人もの多くの方々の参加をいただき、大変盛況な会となりました。 遺構や出土遺物の魅力に惹かれてじっくりと丁寧にご覧になる方、説明を担当した調査員に熱心に質問をなさったりする方があちらこちらで見られました。遠い昔に生きた人たちと現代の私たちとが長い長い時間を超えてつながった一時でした。どうもありがとうございました。 |
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弥生時代の竪穴住居 遺構説明[2次1区] | 弥生時代の溝 遺構説明[2次1区] |
縄文時代の竪穴住居 遺構説明[3次2区] | 弥生時代の溝 遺構説明[3次1区] |
深鉢が立った状態で出土した小穴[2次2区] | 弥生時代の竪穴住居出土 土製品[2次1区] |
縄文時代の竪穴住居出土 石製品[3次2区] | 縄文時代の竪穴住居出土 深鉢[3次2区] |
現地説明会資料[PDF] (3.6MB) |
〜2次調査の発掘調査報告書はこちら〜 |
〜3次調査の発掘調査報告書はこちら〜 |