遺構説明 | |
平成19(2007)年3月3日(土)、四国中央市上分町に所在する上分乗安遺跡において、川之江三島バイパス道路建設に伴う発掘調査の現地説明会を行いました。 これまでの発掘調査では、前年度の調査に引き続き、古代(奈良〜平安時代)の掘立柱建物、中世(鎌倉〜室町時代)の集落跡が検出され、さらに弥生時代後期・古墳時代初頭・奈良時代・平安時代に形成された流路群(旧河道)を新たに検出し、各時代において多くの土器が出土しました。 特に今回の調査で見つかった中世の柱穴は約1100穴になり、1区で見つかった柱穴を含めると約1900穴に及ぶことがわかりました。出土遺物には中世土器をはじめ、銭貨(開元通寶)や青銅製容器の一部、鉄製品などが見つかっています。このような成果から比較的規模の大きい中世集落が13世紀後半〜14世紀頃に営まれていたことがわかりました。 また、見つかった柱穴群の中には、柱を抜き取った穴に中世土器を丁寧に納めていたものが30例以上見つかっています。こうした出土状況は地鎮祭祀を行った結果と考えられます。 本年度の調査で6年間にわたって続いた川之江三島バイパス工事予定路線内での大規模な発掘調査はひとまず終了することとなります。この6年間にわたる調査では、上分西遺跡も含めると総延長約500mにかけての範囲で縄文時代後期から中世に至る複合遺跡を多面的に調査することができ、各時代における歴史的景観の復元を可能にするような成果を挙げることができました。 こうした成果を踏まえ、各時代を通して言えることは四国中央市の地域性の歴史です。中期弥生土器や古墳時代初頭の墓からは徳島県や香川県、そして高知県との交流が、古式土師器では岡山県や香川県とのつながりが、古代や中世の土器からは香川県や徳島県との関連性が見つかりました。こうした成果は、高速道路をはじめとした情報と交通・物流の結節点である四国中央市の利便性が現代に始まったものではなく、その始まりは遅くとも弥生時代にあり、連綿と現代まで受け継がれたものであることを物語っているのです。 説明会当日は、約140名の方々が集まってくださいました。心よりお礼申し上げます。 |
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現地説明会資料[PDF] (1.8MB) |
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