平成18(2006)年10月21日(土)、今治市朝倉下に所在する経田遺跡において、今治道路建設に伴う発掘調査の現地説明会を行いました。
当遺跡の所在は朝倉谷のほぼ中央の平地で、頓田川の左岸に位置します。遺跡の時期は、中世(戦国時代)・古代(奈良時代)と弥生時代の中期末〜後期の初頭です。
○中世(戦国時代)の主な成果は約37mの溝で区画された屋敷跡と思われる遺構を検出できたことで、土師器の皿や杯・備前焼の壺やすり鉢などが出土しました。
○古代では約12×4.5m(4間×7間)を最大とする掘立柱建物跡を6棟検出し、須恵器の杯や硯・甕などが出土しました。
○弥生時代中期末〜後期初頭では、6棟の竪穴住居跡を検出し、銅剣や弥生土器の壺・甕・高杯などが出土しました。なかでも、銅剣の出土は貴重で、発掘調査中に出土したものとしては、松山市の祝谷六丁場遺跡に次いで2例目となります。
出土した銅剣は平形銅剣I式と呼ばれるものと考えられますが、剣身上半しか残っていなかったため、平形銅剣II式である可能性も考えられます。I式だと仮定すると、このタイプの銅剣は細形銅剣-中細形銅剣-平形銅剣と続く系譜の中で、弥生時代中期末〜後期にかけて出土します。出土した銅剣は同じ遺構の中で時期のわかる弥生土器と共伴していなかったため、正確な時期はわかりませんが、周囲の竪穴住居跡などの時期を考えると、弥生時代中期末〜後期にほぼ特定できると考えられます。
出土状態は、遺構内に剣先を下に向け、立った状態で出土しました。この出土状態は国内では他に例がなく、非常に珍しいものです。銅剣の出土した周囲には主要な遺構がなく、集落内で祭祀をおこなった空間と考えられます。今後、武器形青銅器を用いた祭祀を研究するうえで、一石を投じる資料になると思われます。
説明会当日は、約450名の方々が集まってくださいました。心よりお礼申し上げます。 |