長松寺跡 現地説明会
[平成18(2006)年2月25日(土):宇和島市保田]


遺構説明
遺構説明
 
 平成18(2006)年2月25日(土)、宇和島市保田(やすだ)に所在する長松寺城跡において、宇和島道路建設に伴う発掘調査の現地説明会を行いました。

 長松寺城跡は、宇和島市南部にある低丘陵上(標高約73m)に造られた中世の山城です。
 今回発掘調査を行ったのは、従来から知られていた長松寺城跡から東へのびる尾根の先端部に位置する郭群です。調査の結果、主郭と腰郭から構成された3面の郭と、西側尾根と城郭を分断する堀切及び遮蔽土塁が確認されました。また、郭からは柱穴が26検出され、そのうちのいくつかは柱穴列をなしていました。

 遺物は破片点数で1,700点ほど出土しています。このうち約200点は弥生時代の土器や石器で、長松寺城築城の際に弥生時代の遺跡が破壊されたものと考えられます。余談になりますが、旧宇和島市域での弥生時代の遺跡は拝鷹山貝塚に次いで2例目となります。中世の遺物の多くは土師器の杯ですが、備前焼の壺や擂鉢、中国産の青磁や白磁なども出土しています。

 従来から知られていた長松寺城が16世紀後半の山城と考えられるのに対し、今回調査を行った郭群は15世紀に遡ることが明らかになりました。両者の間には、約100年の時間差と100mほどの空白地帯が存在していて一連の城郭とは考えにくいことから、今回調査を行った郭群を長松寺城Aとし、従来から知られていた城郭を長松寺城Bと呼び分けることにしました。両者を比較すると、長松寺城Bが放射状の竪堀や横堀を備えて防御性を高めた構造であるのに対し、長松寺城Aは極めてシンプルな構造となっています。このことから長松寺城Aは本格的な戦闘に備えたものではなく、有事に近隣集落の人々が一時的に逃げ込むような性格の城ではなかったかと考えられます。

 説明会当日は天候にも恵まれ、総数101名の方々が集まってくださいました。心よりお礼申し上げます。
 
調査区近景 遺構説明
調査区近景 遺構説明
出土遺物1 出土遺物2
出土遺物1 出土遺物2


現地説明会資料[PDF]
(3.4MB)

〜この遺跡の発掘調査報告書はこちら〜


[恐れ入りますが、ブラウザ上でウィンドウを閉じてお戻りください]

Copyright (C)2000 The Ehime Research Center for Buried Cultural Properties. All right reserved.