上分西遺跡・上分乗安遺跡 現地説明会
[平成17(2005)年12月17日(土):四国中央市上分町]


上分西遺跡出土の土馬(復元予想写真)
上分西遺跡出土の土馬(復元予想写真)
 
 平成17(2005)年12月17日(土)、四国中央市上分町に所在する上分西遺跡と上分乗安遺跡において、川之江・三島バイパス建設に伴う発掘調査の現地説明会を行いました。

 平成14年度より調査を開始した上分西遺跡では、縄文時代後期・弥生時代中〜後期・古墳時代初頭・平安時代・室町時代の遺構・遺物が見つかっています。本年度の調査では、上層遺構で平安時代や室町時代の掘立柱建物、下層遺構で古墳時代初頭の竪穴住居や集石遺構、溝、流路などが見つかり、それぞれの時代に集落が営まれていたことがわかりました。古墳時代初頭の流路では古式土師器とともに銅鏃が出土しています。

 本年度より調査を開始した上分乗安遺跡では、上層遺構で奈良時代を中心に7世紀後半から8世紀にかけての竪穴住居や掘立柱建物が見つかり、須恵器や土師器といっしょに円面硯や土馬、刀子、土錘などが出土しました。特に当時の文房具である円面硯や刀子の出土は識字階層(字の読み書きができる人たち)、つまり官人(古代の役人)の存在を裏付けることができます。そして集落遺跡出土例として愛媛県で3例目となる土馬の出土からは律令祭祀が行われていたことを想像することができます。
 また本遺跡の近くに国府間を結ぶ道路(駅路)である南海道が通っていた可能性が高いこと、さらに宇摩郡大岡駅の推定地にも近いことなどから考えると遺跡周辺は古代交通の要衝であったことが指摘できます。

 これらのことと発掘調査の成果を考え合わせると、上分乗安遺跡には古代宇摩郡の郡衙(古代の役所)などの官衙関連施設に関係し、その中心的役割を果たした人たちが住んでいたと考えることができそうです。

 また鎌倉時代を中心とした12世紀後半から13世紀代の遺構・遺物も見つかりました。見つかった掘立柱建物の柱穴は約800穴におよんでいます。遺構からは白磁や青磁、和泉型瓦器などとともに讃岐との直接的交流が指摘できる西村窯系須恵器が出土しており、比較的規模の大きい中世集落が営まれていたことがわかりました。

 説明会当日は吹雪の荒天であったにも関わらず、総数148名もの方々が集まってくださいました。心よりお礼申し上げます。
 
上分西遺跡:銅鏃出土状況 上分乗安遺跡:竪穴住居跡遺物出土状況
上分西遺跡:銅鏃出土状況 上分乗安遺跡:竪穴住居跡遺物出土状況
上分乗安遺跡:中世墓検出状況 遺構説明
上分乗安遺跡:中世墓検出状況 遺構説明


現地説明会資料[PDF]
(2.9MB)

〜この遺跡の発掘調査報告書はこちら〜


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