所在地
今治市矢田
所属時期
江戸時代
矢田平山近世墓は、高縄半島北東部の今治市乃万地区に位置しています。一般国道196号今治北道路建設に伴って1996年に発掘調査が行われ、調査面積約500平方メートル、標高約23〜30mの丘陵緩斜面から、江戸時代後期(18世紀後半〜19世紀頃)の墓が見つかりました。
墓は平面形態が円形や楕円形を呈するものが多く、合計32基が北東から南西方向に2列に並んでおり、人骨は42体分見つかっています。鉄釘類が出土していることから、棺桶の存在も想定されますが、調査で棺桶は確認されていません。
副葬品は、土師器皿・陶磁器(肥前系、瀬戸・美濃系)・金属製品(銭貨・煙管・小刀・装身具)などが出土しています。銭貨はほとんどの墓から出土しており、六道銭として納められていたようですが、人骨を分析した結果、陶磁器や装身具は女性、煙管は男性の副葬品として納められる傾向にあったようです。
これまで県内では江戸時代の墓が調査された事例は少なく、不明な点がありますが、この調査によって、当時の乃万地区における埋葬方法の一端を知ることができます。
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