所在地
今治市阿方
所属時期
古代
阿方春岡遺跡は高縄半島北端部にある近見山の南に延びる支脈の南端の小規模な谷に位置しています。
調査区は、2調査区に分け調査を行い、掘立柱建造物9棟、柵列10列、溝21条を確認しました。調査区東側のコの字状の溝は、斜面上部にあり、大型の掘立柱建造物4棟を囲むように位置しています。おそらく、掘立柱建造物の斜面上部のからの水をこの溝により排水するための構造物と考えられます。この溝に囲まれた南側の掘立柱建造物は柱穴の直径が約1m、柱間約2mの2間×3間で、柱穴には柱材を固定するように詰め石が配置されています。また、コの字状の溝内側北の掘立柱建造物は数回の建て直しが行われています。
遺物としては9世紀から10世紀の須恵器・土師器・青磁(中国の越州窯産)・緑釉陶器(京都産)・灰釉陶器(猿投窯産)・識字階級を裏付ける風字硯や円面硯など数多く出土しています。特に越州窯産の青磁は緑釉陶器よりも貴重品で、平安貴族らに「ひそく(秘色)」と呼ばれ珍重されたものです。愛媛県内では数例しか出土例がありません。
当時、このあたりは伊予国野間郡の英多郷(あがたごう)に属します。野間郡の中でも東端に位置し、国府があった越智郡の郡境に非常に近く、遺構・遺物の性格も併せて検討した遺跡の評価としては、地方豪族もしくは役人に何らかの関係がある遺跡ではないでしょうか。
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