所在地
今治市別名
所属時期
古墳時代前期
別名一本松古墳は、高縄山から北に延びる低丘陵上にあり、かつては頂上の「一本松」が遠くの集落からも見える目印であったそうです。
この古墳は今治市教育委員会の確認調査で青銅鏡の出土が知られていましたが、平成17(2005)年の今治新都市開発に伴う発掘調査により、古墳全体の様子が明らかになりました。
墳丘は左右非対称ながら、全長30mを測る前方後円墳で、前方部は本来の丘陵を削り出して作られています。表面には葺石や埴輪は見られませんが、低地の集落側からは「一本松」と同様、はっきりと眺めることができたと思われます。
後円部中央には、墓壙の形状から2基の組み合わせ木棺が納められた可能性が高く、副葬品には古式土師器のほか、青銅鏡2面、鉄製武器(剣・ヤリガンナなど)、玉製品がみられます。また、出土した青銅鏡のうち、内行花文(ないこうかもん)鏡は中国で製作された可能性が高く、もう一面の四神四獣鏡(ししんしじゅうきょう)は日本で作られた鏡であることが、近年の研究から明らかとなっています。
古墳の造られた時期については、出土遺物の特徴から、古墳時代前期の終わり頃(4世紀後半)と考えられます。また、この古墳が造られた頃の今治平野および県内の様相ついては、まだ不明な点が多いことから、この古墳の調査成果は貴重であるものと考えられます。
さらに、古墳が立地する日高丘陵において、高橋地区などで広範囲にわたる調査が実施されていますので、近い将来、日高地区における「首長墓」の展開や集落との関係などが浮かび上がるのではないでしょうか。
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