所在地
今治市朝倉南甲
所属時期
弥生時代
朝倉南甲遺跡は朝倉盆地の南西部、頓田川支流の高大寺川によって作られた扇状地上に位置しています。昭和59年の発掘調査により、弥生時代後期の15棟の竪穴住居のほか、土坑(素掘りの穴)、柱穴が発見されました。
竪穴住居は残存状態のよいものも多く、床面からは、大量の弥生土器が見つかりました。その種類は壺・甕・高杯・蓋・ミニチュア土器などで、中でも注目されるのは9号住居から出土した大型壺です。住居内のやや中央よりで検出され、食料の貯蔵などに使われたものと思われます。
また、近畿地方や山陰地方の土器の形に影響を受けたものも見つかっており、他地域との交流があったこともわかります。これらの弥生土器は、新しい住居に住み替える際にまとめて捨てられたものとして、弥生土器研究のよい資料となっています。
この他、遺跡からは石鏃(矢じり)や石錘・石包丁・紡錘車(糸をつむぐ道具)などが見つかっています。
出土した土器の変化を見ると、住居は数回建て換えが行われ、形も円形のものから方形のものへと移り変わっていったことがわかります。また、弥生時代終末期には7棟の住居が同時期に存在し、この時期が集落の最盛期であったと考えられます。周辺の高大寺川流域や野々瀬地区においても、弥生時代後期の土器が多数採集されており、朝倉盆地内においてはこの時期、広く人々が生活していたといえるでしょう。
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