所在地
今治市阿方
所属時期
弥生時代
阿方遺跡は愛媛県今治市の北部に位置しています。この地に遺跡があることは、地元では古くから知られていましたが、戦前に明治大学の杉原荘介博士が発掘調査を行い、戦後まもなく調査報告書を刊行したことによって、阿方遺跡は弥生時代の貝塚遺跡「阿方貝塚」として全国的に知られるようになりました。また、その時に出土した装飾性の高い土器は「阿方式土器」と呼ばれ、四国の弥生時代前期の基準資料とされました。
その後、愛媛県の史跡に指定され、長らく正式な発掘調査の機会がありませんでしたが、しまなみ海道が建設されることになり、平成8年3月から平成10年4月まで発掘調査が行われました。
調査の結果、貝塚(昔のゴミ捨て場)をつくった人々が住んでいたと考えられる東西に細長い丘の北側と南側の斜面から、弥生時代の土器・石器・骨角器・木器などの道具類のほか、シカやイノシシの骨などの残飯が大量に出土しました。また、南側の斜面では川岸に作られた水辺の施設も見つかっています。
発見された遺物のうち、土器は阿方式土器(弥生時代前期末〜中期初頭)と言われているもののほかに、さらに古い時代(弥生時代前期前半)の土器もありますので、弥生土器の研究には大変良い資料です。また、木器は鍬や鋤などの農耕具に加えて鎧の部品なども出土していて注目されます。
南側の斜面で発見された水辺の施設には、杭の列、トチやドングリなどのアク抜きのための水さらし場などいろいろなものがありましたが、中でも丸太を刳り貫いて作った樋状の施設は、全国でも例を見ない珍しいものです。
また、貝塚から北に少し離れた場所では、縄文時代の川の跡があり、突帯文土器と呼ばれる縄文時代終わり頃の土器が見つかっています。これらの土器の中には赤漆で装飾を施したものもあります。
このように阿方遺跡は、縄文時代終わり頃から弥生時代中期初頭までの遺構や遺物が途切れることなく発見されていますので、朝鮮半島から伝わった水稲農耕に象徴される弥生文化が日本各地にどのように広がり、どのように定着したのかについて、大変重要な情報を提供してくれます。
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