所在地
松山市猿川
所属時期
縄文時代早期〜中世
旧北条市の縄文時代遺跡はこれまで、後期を中心とした遺物が各所で採集され、その多くは北条平野を流れる河川の段丘上や丘陵上に位置していますが、ここで紹介する猿川西ノ森遺跡は、平野部からやや奥まった山峡部を流れている立岩川の河岸段丘上にあります。
発掘調査の結果、本遺跡は縄文時代早期から中世にかけての遺跡であることが明らかになり、各文化層からは定住を示すような遺構は確認できなかったものの、大量の遺物が出土しました。なかでも縄文時代の早期中葉・後期前葉〜後葉・晩期後葉の土器については、ある程度まとまって出土しており、早期の土器では、山芦屋S4下層式―黄島式―高山寺式―穂谷式といった押型文土器が連続的に認められました。後期の土器については最も多くの土器型式が出土しており、これまで県内では資料的にも少なかった元住吉山式や福田KIII式といった後期後葉の資料が確認できたことは大きな成果といえます。
また、出土した石器は、石鏃が最も多く、これに楔形石器が続いています。こうした狩猟具や工具といった石器類が卓越した組成を示している反面、凹石や磨石といった植物質食料加工具は少なく、漁撈具については1点も認められませんでした。このように狩猟具が多く、堅果類と水産資源を利用したとする道具は少ないことから、本遺跡では狩猟活動に比重を置いていた生産活動が展開されていたと考えられます。
さらに出土遺物のなかには他地域との交流を示唆する遺物も数多く出土しています。なかでも特筆すべき遺物として、拳大ほどの黒曜石の石核がありますが、これは蛍光X線分析により島根県隠岐産のものであることが明らかになりました。このほかにも大分県の姫島産黒曜石や香川県のサヌカイトも出土しており、本遺跡が石器素材の流通基地的な役割を担っていた可能性も考えられます。
このように、猿川西ノ森遺跡では住居址を示す遺構は確認できなかったものの、土器型式や石器素材などの豊富さが物語っているように、当時の人たちにとって、当地域は生活に適していた場所であり、単なる一過性の生活領域ではなかったことがうかがえます。
|